心の植林
この言葉は、先達て亡くなった立松和平氏が行なった足尾銅山跡地の植林活動で、参加した人々へのメッセージに出て来るものである。
多くの人が50年後の森を見ることが出来ない植林事業である。しかし、心に森を思い描くことは可能である。和平氏はそのことを言ったのである。
自分達は木の恵みを戴いて木造住宅の仕事をして参りました。これからもそうでありたいと願っています。感謝の思いでささやかな植林を高原町の水源地の森で行ないました。
私達の「心の植林」はまだ始まったばかりですが、この夏には初めての下草払いを致します。思いと手間を少しづつかけてこそ山の幼木も心の幼木も大きくなってゆくものだと思っています。
生きてゆく過程で私達は、心の植林を忘れて目の前のことしか見えなくなってしまうことの方が多いようです。未来とは自分達の為だけではないことを忘れてしまう。残念ですがこれが現実なのでしょう。
お父さん、お母さんに連れられて、植林に参加して下さった子供達。有難う。
防腐処理のされたネームプレートがまだまだ読める内に、そうして心の植林を思い描くことが可能な元気な内に、焼肉パーティーを毎年やりたいと思っています。