くまちゃんがやって来た
「500メートルぐらいの距離のガソリンスタンドにいるから、すぐ行くよ」
佐世保からくまちゃんがやって来た。今より16年ばかり前、シーガイアで会って以来だ。
あれから色々なことがあって、くまちゃん大変だったようだ。
中でも昨年、奥様が亡くなって、まだまだ立ち直るには時間がかかりそうだ。
それでも宮崎に、この連休娘さんとやって来てくれた。
元気の素にと、蕎麦(そば)打ちを始めたそうで、私達にご馳走してくれるとのことだった。
先ずは、私共の仕事を見てもらいたく、UMKの展示場で待ち合わせたところ、もう近くに来ているという。
やがてブルーの車が近づいて来ると、硝子越しにそれらしい人影が。
手作り草履の作家らしく、頭に黄色いバンダナを巻いて、あご髭(ひげ)を伸ばし、黒縁の眼鏡。その眼が笑っている。
「変わらないね。」「いや、ちょっと見はね。しっかり年は取っちゃったよ。」
そのような訳で無事くまちゃんは宮崎に着いた。
UMKの展示場では、娘さんが高校時代、建築学科だったとのことで盛り上がった。現在、携帯電話の中に出て来る省略記号などをデザインする仕事に付いているとのこと。表現することの楽しみと苦しみを理解してくれるようで、くまちゃんの良き理解者でもあるようだ。
2泊するものと思っていたら、翌日は昼過ぎまでの滞在とのこと。急がしそうである。和太鼓を通じての知り合いが、演奏会を開くようで参加するとのことだった。
翌日は西都原に案内し、歴史好きの彼は出土した鉄剣が新たに磨かれ、今にも切れそうな姿に感動していた。
ところで何か彼を喜ばせることはないかと考え、宮崎名物「入船」の鰻をご馳走した。奥様が悪くなられてから食べてないとのことでした。
家で留守番のご長男に、旅の話のネタとして、彼らはしばしばシャッターを切っていた。
西都の桜並木、博物館、そうして毎回の食卓の風景である。待つこと1時間30分、ようやくにして出て来た入船のうなぎ。
思い直してみるに、どうもこのシーンだけ彼らのシャッターを切る姿が記憶にない。
ところで、帰る日の朝、「飯を食べずに待て」とのことで90歳の我が母上殿もお腹を空かせて待ったところ、彼の打ってくれたお蕎麦は上品でとても旨かった。
この時、むろん蕎麦打ちのコツを伝授されたので、これからは私も蕎麦打ちをマスターしたいと思ったところです。
しかしながら、「待つこと」「待たせること」も美味しく食べる食べさせるコツかも知れませんね。
そうして、記録写真を皆様くれぐれも忘れずに。平常心平常心。