故郷へ回る六部は気の弱り
六部とは六十六部の略で法華経を六十六部書き写し、日本全国の六十六ヶ国の霊場に一部ずつ奉納して回った僧のことである。江戸時代の川柳に、長年諸国を旅した六部も年老いて気が弱るとふるさと近くを回るようになったことを詠んだものです。
そのような訳で、私も今年で還暦。
子供の頃に住んでいた鹿児島県の隼人町に行って参りました。
宿は日当山温泉の「野鶴亭」。部屋の前に天降川が流れ、この堤防添いに歩いて、あの坂本龍馬がおりょうと霧島に登ったそうである。
私は「おりょう」ならぬ「お豊」を連れてこの宿に一泊。龍馬は日本の将来を愁えたが、私は自らのちっぽけな未来を愁え、なぐさみに、幼な馴染みと「夕霧」というスナックにしばしの憩いを求めた次第。
天璋院篤姫ならぬ薩摩の女性に囲まれて、それに皆、齢(よわい)60才となった幼な馴染みは、元気だけは20才代。忙しいのに本当に有難う。
渡されたタスキに「私が主役」とあり、頭にはピンクのシルクハット。ハットのつばにはローソクを模した飾りが10本ばかり立っており、賑やかなことこの上ない。
「ハイ、ハイ」と乗りに乗って、布施明の「これがせいしゅんだ」を絶唱してしまった。
曰く、「大きな空に梯子をかけて、真赤な太陽両手で掴もう、誇り一つを胸にかかげて、怖れ知らない、これが若さだ、そうともこれが青春だ。」
旅から帰ると、我が家の勝手口に両手をあげて二本立ちの影がお出迎え。モッコとレオのミニチュアコンビ。
やれやれ、この子達とこれからの人生楽しくやって行けそうだ!