私は保育園から小学3年生まで鹿児島県の隼人町という所で育った。
保育園は遍照寺という寺の経営によるもので当時、明治大学卒の住職が園長をされていた。大学ではマンドリンをやっていらっしゃったので、この園長は当時としては大変ハイカラな方でした。時には得意のマンドリンを聞かせ、音楽が身近にない時代、園長はスーパースターのようで、園児たちの憧れの的でした。
遍照寺は通りから少し高くなった所にあり、階段を上ってゆくと、眼下に街が広がって見えた。北を望むと霧島を遠望でき山々の重なりに子供ながら見とれていたのか、しっかりと思い出される風景である。
或る夏の日、ボーイスカウトの活動にも熱心だった園長が園の運動場で一日キャンプを計画したことがあった。そのキャンプで私は生まれて初めて、キャンプファイヤーを経験した。そうして当時では珍しいカレーライスも食べ、今でも思い出せばその時のウキウキとした喜びが蘇って来ろようです。テントで寝たのも初体験で、途中で泣き出して家に帰った「カッチャン」といういい所の坊ちゃんがいたことも懐かしく思い出します。
朝になると園長は子供たちを集めて話しはじめました。
「この地面掘って、掘って、掘り続けると地球の裏側のアメリカに行ける」と。
「ホントウか」と尋ねると「ホントウだ」と答える。
子供たちは一勢に穴を掘り始めた。スコップや小さなシャベルで運動場一面に広がって、穴を掘っているうちに、とてもアメリカが遠いこと。自分達の力の限界にも気付かされます。私は大志を抱いていたので大きな穴を掘り、誰よりも大きい穴を掘ろうと奮闘しました。
暫くして、周りを見て回ることとし、皆の穴掘る様を眺めるころには、「アメリカ」はどうなったのかという疑問も薄らいで、やがて各々の穴を見るにつけ、子供ながらに人間というものの面白さに気付かされたことでした。
曰く、小さな子供の拳大の穴が精巧に2つ並んで掘られ、どうやら地下で連結されているようなもの。又、穴ではなく砂を積み上げ山を築き、その山にトンネルを穿つ者。蟹は甲羅に合わせて穴を掘ると言われるが、「アメリカ」が砂遊びに変じてしまったことに、かの園長はニッコリと笑っていたようで・・・。その中でただ一人少しだけ不満の思いを抱き続けた私は。今となって彼こそは「大志」の夢を教えてくれた人だったのだと思い知ることでした。
明治大学マンドリンクラブの園長が懐かしく思い出されます。
少年よマンドリンをかき鳴らせ