私の住んでいた高鍋町の駅前周辺では空き家が目に見えて増えています。子供の頃は、多くの腕白達が走り回っていたのですが、駅周辺には子供は住んでいないようです。
お祭の存続も危ぶまれています。世話役の老人は皆私の同級生かその兄弟のようで、時々老朽化した神社の修理依頼が来ます。修理費用は予算がある程でやらせて戴きます。職人さん達には無理は言えませんが、皆さん協力的でありがたいことです。
「20年後はどうなっているかね?」と級友に問えば「お寺さんは後継ぎがいるが、あとAさんの家には引きこもりの若い人がいるのでその頃は2,3軒になっているかも」とのこと。
これは松尾芭蕉が東北へ旅に出る時に詠んだ句です。草に埋もれる自分の家を売り、旅に出る芭蕉がふと通りかかった旧宅には既に若い夫婦が住み、雛人形がかざられている、幼子は女の子がいるのだろう・・・という情景なのだとか。
人の住まなくなった高鍋の家々は解体されたり、朽ちて屋根が陥没したり、庭には草木が繁茂しています。この家々を立ち去った方々は今どのように暮らしておられるのでしょうか。
「寛ちゃん、俺週休2日にしようかな」
「この頃は皆、週休2日じゃが、腰が曲がっちょるが、もう少し休んでもいっちゃね!」
「来年からにしようかな・・・75歳になってからにしようかな・・・」
人口減少地区で生き残るのは大変そうです。
「75になっても来るかい、元気にしちょらんといかんね!」