人は年を取る。柳生 博さんが85才で死去。
このところ芸能人の高齢者が次々に亡くなっています。
隣人知人ではないが、テレビなどで馴染の顔触れの訃報が続くと、人が死ぬのは特別なことではなく、当り前のことだと気付かされます。
死ぬ時が、いつかではなく、明日だとしたら、
「今」しなければならないことに気づく。
「一ケ月後」だとしたら、
「一年後」だとしたら、
そのことに気付いた「今の私」は、
何をどうしたいだろうか。
「帰省」の意味を調べると、親の故郷に帰って、親の安否を尋ねることだと言う。
「省」の意に「たずねる。安否を問う。おとずれる。」が、ある。調べてみて、「知らなかった」というところです。
さて、友人は帰省し、95才の父親のお世話をする。 1週間だが、遠方からカーフェリーでの帰省です。
彼が自宅に帰ると、宮崎に住むお姉さんと妹さんが交替で父親の介助を担うておられるとか。
皆で力を合わせて、大変なことです。
誰でもできないことのようです。
自分の為、誰の為、会社、社会の為?
考えてみると、不思議な気がします。
ある時、TVで巨大隕石が地球にぶつかるまでの数ヶ月を描いていました。
「 どーせ 〇〇ダカラ 」
と、それまでの生き方、考えた方が一変して大混乱のドラマでした。
場合のみ、明日への希望が我々を勇気付けてくれるようです。
柳生 博氏は、
「このままここで死んでも大好きなこの森に、
そのあとも俺はやっぱりいるよな、きっと」と、
話していましたが、生きて来た意味を見出せた、
山梨県北杜市が大好きでした。そうして、そんな柳生さんが大好きな人がたくさんいて、私もその内の一人です。柳生さんの愛した美しい自然がいつまでも、そこにあることを願ってやみません。