馬は倒れた
その馬は賑やかな囃子に乗って登場した。
大きく首を上下に振りながら、手綱の持ち手を引きづりながら。しかも宿の2階に設けられた桧舞台から踊り出た。
「踊れ、踊れ」と掛け声が上がり、バラバラと人が立ち上がった。
終いには30人余りが、その馬に付き従って赤いハッピで踊り出した。
「ハイヤー」、車のことではない。踊りの囃子言葉だ。
鹿児島県隼人町、毎年2月20日は初馬祭。その1日前のことである。
隼人宮の内小学校の還暦同窓会は祭の前夜祭よろしく19日夕刻より開かれた。
「寛ちゃん、寛ちゃんじゃろ!」浴衣を着た恰幅の良いおじさん、少し頭頂部が疎林となっている。
「分からんね」目に宿る懐かしい光、「てっちゃんやろ、分かっちょるが」
てっちゃんは子供の頃、金太郎さんみたいに体格が良く、力持ち。
学校への登下校時は自慢の裸足で、その頃、舗装もしてない小石の混ざる通学路を通っていた。
「いいよな~、ここには温泉もあるし、気候も良くて」そう言って、心の底から故里を懐かしむてっちゃん。 それは数年前から帰郷して住みはじめた女性の話を聞いていた時、ふと口から出た彼の望郷の念である。
「あそこの地図を見てよ。昔の地図に皆の子供の頃の写真が貼ってあるよ。作るの大変だったんだから。」
見ると、会場の一角にその地図は貼られていた。
道らしい線がひょろひょろと画かれた白紙に、所々に子供の写真が貼られている。
「あった!」僕の写真。「可愛かったな」
てっちゃんも、和江も、かっ子ちゃんも、皆可愛かった。
否、和江は「今も」と言っておかねばと思ってしまうのは、幼稚園で泣かされて以来、昔の力関係が今に続いて私を支配しているからだろうか。
「寛ちゃん、だよね」そう話しかけてくれた声に振り向くと、人の好さそうなご婦人が同じ地図を覗き込んでいる。
「転校して行ったんだよね。どうしてるかと思って気になっていたの。」
遠い昔、ポケットにカッタ(カルタ)をいっぱいに詰め込んで宮崎行きの汽車に乗った「ボク」。
宮崎では丸いカッタは誰も使ってなくて長方形ばかり。
鹿児島では丸いカッタは子供にとって宝でも、宮崎ではただの紙くず。
「ぐらしか話(鹿児島弁で、可愛そうな話)」
ところでその馬は
「この馬元気が無いが」との声に、いよいよ大きく首を振り、張り子の頭が囃子に乗ってズンズン進む。と、突然ワッとばかり横倒しに。
妙に哀れを誘う姿となって大笑い。
三日三晩、この日の為に制作された「初馬」はこのようにして還暦同窓会の花となった。
「初馬」は倒れた後、再起すると更に元気を振りしぼり桧舞台へ、そうして再度倒れて哀れを誘った。
ややあって、顔面蒼白の和江ちゃんが近づいて来た。
「あの馬は前が見えんとよ、中腰で頑張るので、動悸、息切れで倒れたが」とのこと。
昔も今も暴れ馬とはゆかなかった「和江ちゃん」ご苦労様でした。
寛ちゃん