いつか住みたい土地
東京で50才以上の方々に、リタイヤ後住みたい土地についてアンケートしたところ、割合は忘れたが、とにかく、この宮崎が住みたい土地のNo.1だったことを覚えている。
今、口蹄疫が猖獗(しょうけつ)をきわめる中、住みたい土地No.1のアンケートを実施すると、きっと番外かもしれない。
先日、東京から来客があった。国の出先機関の方で、家づくりのポイント等様々にお話をさせて頂いた後、「実は私、都城の出身です。」とのこと。
東京でご活躍の方々に建築関係の方は意外に多く、同郷のよしみで親しい方も多いとのこと。
その宮崎の方々が、TVにこの口蹄疫のニュースが出ると「故郷を思って涙が出ます」と言われるそうだ。
一瞬、私も東京に住んでいた頃を思い出した。
駅の週刊誌に、どこかで見た風景が載っていた。それは川南町へ10号線で北上する時、大きな坂道を下るが、その峠とも言える高台から見下ろす町の眺めだった。コメントが付いていた「日本で一番住みやすい町」。どのような条件でこの町を選んだかは知らないが当時世に出始めたコンピューターによる抽出らしかった。
都会に憧れて若い人たちが宮崎を出てゆくのは、今も私の若い頃も同じだった。40年前の「日本で一番住みやすい町」の川南町の隣町に私は住んでいる。それは「いつか住みたい土地」であったはずで、「これからもずーっと住みたい故郷」であらねばならない。失われる宮崎の富(20万頭を超える牛や豚)がこの宮崎の大地の「土」となることを思えば、宮崎県人の力で宮崎の大地を「いつか住みたい土地」としてどうしても復活させてゆかなければならない。
知り合いの養豚家の人に、久し振りに出会った。
殺処分と埋設も済んでようやく外に出られるようになったとのこと。見る影もなく面やつれしておられた。
「この間、花を持って埋設現場に行って来たら、少し胸が軽くなりました」とのこと。
お話を伺って、その光景が目に見えるようでした。どうか一日も早く口蹄疫が終息しますように。そうして「いつか住みたい土地」の一番に、この宮崎がなりますように願って止みません。