後継者は先代に何かと比べられ損をするものである。
得をすることもあるのだが、得というものは当たり前、これがなければ後継者も後継者には成らなかった訳で、とにかく、この「損」が大問題となる。
今、我が家に2匹の後継者がいる。
右:モッコ 左:レオ
先代は賢く、決して室内で「おもらし」はしなかった。
なんと、迂闊な飼い主が起こしても起きなければ、ユニットバスのタイルに「おしっこ」をしていたと言う。正に天才犬。
妻曰く、“トイレを開けていたら、きっとトイレで用を足していたに違いない。”
又、先代は家人の安全を守る警備の役目を忠実に、1年365日精励せられておりました。怪しい物音、怪しい人、これを観察する先代の眼差しは常に真剣であり、耳は、鼻は、正に五感に加えて第六感までも投入して警備する先代の姿は誠に頼もしく、それでいて愛らしく、今もありありと目に浮かぶのであります。
して、今日の後継者は、
先ず、「おもらし」を自己表現に用いるところがダメ。2匹が常に「愛の狩人」のごとく「一番の愛」を求めて行動。二番の方、特にレオ君は、この時、「おもらし」を自己存在の証として、マットを用いず、フローリング上に放出。逃げ足だけは早いという体たらく。
次いで、警備上の勤務状況はと言えば、誰でも大歓迎、まったくノーテンキ。
何か後継者の取り得はないかと言えば、これかな、「手のかかる子供程、可愛い」「バカな愛の狩人程、可愛い」といったところか。 チャンチャン
それにしても先代「クロ」は偉大だったな。