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「いつか王子様が」

 ディズニーの白雪姫のテーマソングとか。家の棚にトナカイのソリに乗ったうさぎが、道を急いでいる様子の人形が置いてあった。何気なく手に取ると「1年3組 田村A」と名前が記されていました。末の三女が7歳の折、今からもう30年以上も前に行った東京のディズニーランドで買い求めたお土産でした。

 オルゴールになっていたのでカリカリとゼンマイを巻いて机に置くと、ゆらゆらとトナカイのソリが前後に揺れだした。すると、オルゴールの音がゆっくりと響いてきて、これは「ディズニーのいつか王子様が」という曲のようだと、側にいた妻の言葉。

 思えば3人娘の親として、ディズニーのメロディにあるような、素敵な王子様が来てほしいものだと願っていたあの頃を懐かしく思い出しました。ソリに乗って道を急ぐうさぎは王子様だったようです。

 私にもあなたにもこのディズニーの「いつか王子様が」の曲は夢を見る幸せを届けてくれる名曲のようです。

 明日の夢に生きる勇気をもらった若い頃とは異なり、年をとると、輝く夢に向かって進む意欲が落ちてきます。途切れるに違いない、未来の時間の現実が、目の前に現れます。あるとすれば、今日から明日、そうして来年くらいまで、運が良ければ10年くらい続くであろう、そんな未来は想像できそうです。

 明日は日めくりの暦のように、下が透けて見えるようで、正月にもらう暦の暑さも2cmに満たない。

「途切れる」という現実の時間は、生きている命が、この日めくり1枚で尽きるかも知れない命の時間を物語るものであるようです。

 夢や希望に突き動かされて、一歩ずつ階段を上がってゆくとすれば、明日は陽が昇るように、必ず未来への階段につながるはずです。人を導いてくれる勇気や忍耐がそこに必要となれば、人は努力することで明日が来る気がするものであるらしい。

 年を経て迎える明日は、未来とつながることなく途切れる、階段の途中にいる自分に気がつく場所となるのかもしれない。ある意味残酷な階段の踊り場です。途切れる命の時間はごく自然で当たり前なことだからです。

自己形成という、仕事、趣味、地域社会、家族など様々なしがらみの中で人は役割を果たし、努力しています。

 運が良かったり、悪かったりもあることでしょう。年を重ねて、余命を数え始めるようになると、これまでの様々なキャリアから抜け出して、なにか自分を忘れて心を奪われることが喜びとなるようです。

例えば、見ているだけで楽しい、その対象となる子や孫の姿、自然、ペットのワンちゃん、ネコちゃん。

「いとおしい」「愛さずにはおられない」命の煌きを、もっと見ていたい。もっと共に生きたい。

「いとおしい思い」に突き動かされて我を忘れ「阿呆(あほう)」になる。

阿呆になれば、努力や勇気や忍耐、我慢は気にしなくてもいいということでしょうか。

 かつて、ディズニーで買ったお土産の、「いつか王子様が」のソリに乗っていたお人形は、うさぎが王子様役でしたが、年寄のために夢のメロディを届けてくれる役回りは、ワンちゃん、ネコちゃんが王子様役になるようです。「いつか王子様が」はワンちゃんネコちゃんのようです。

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