和竿は釣り道具として今でも人気です。和竿は竿師と呼ばれる職人が技巧をつくして作る工芸品としても人気があり、名人と言われる職人の話では「竹の節でも理想的なものは一万本に1本、これをさらに選別にして何千本、何万本に1本を選ぶことになる」とのこと。
仕上がりの美しさ、品格が問われるとのこと。
宮崎には古くは竹竿を加工して販売をしていた職人さんがいたようです。時がグラスファイバーなどに竿が変わるころ、こうした職人さんは静かに店を閉じたようです。
グラスファイバーの竿を仕入れて販売する気はしなかったのでしょう。
友人の息子さん当時小学3年生位いでしょうか。近くにあった和竿の作製販売をされていた職人さんから、高価な和竿を、子供のおこづかい程度で売ってくださったようでした。
「この竿は大事にすれば10年でも、20年でも、もっと、もっと永く使うことができるんだよ、大切にしてね」
その後、程無く、そのお店は無くなり、美しく並べられていた和竿も姿を消して、ガランとして空き店舗になっていたとか。
その子にも何となく大切にしなければならない品物であることが解り、「竿師のおじさんの笑顔」ともらった竿は宝ものとなりました。
或る日、突然その子が大切にしていた和竿が姿を消してしまい、パニックに。犯人は祖父だったとのこと。しかも祖父は自分の所有する竿に、孫の竿をチョン切って、つなぎ改造していました。
重大な事態に直面した両親は祖父をたしなめても詮無いころと諦め、男の子を慰めることしか出来なかったとのこと。
一生を和竿に託した職人さんは、一人の少年が最後の和竿を大切にしてくれる夢をもらって、お店を閉じたかったのでしょう。