その夜、宮崎空港に虹色に明滅する機体が遠い西方から近づいてきた。
機体は宮崎空港の上空をキラキラ輝きながら一度海に出て、しばらくすると海面を滑るように空港に近づいてきた。
そうして不思議なオレンジ色の霧をまとった機体は静かに停止した。
虹色の明滅で機体全体が熱された金属のように見えていた。黒い窓らしい影が点々と機体に並んでこの影の後ろに、誰が潜んでいるのか、どのような人たちがいるのか、燃えるような好奇の心を誰もが抱く夜となった。
機体には誰も近づくものはいなかったが、宮崎空港に居る人のすべての目はこの機体に向けられていた。
中でもその視線が最も集中された、前方のドアらしい大きな黒い影から一筋の青い光が漏れてきた。急に耳を突き抜けるような金属音が響くと、ドアとおぼしき大きな黒い影が開くと、中から銀色のタラップが斜めに突き出されたのである。
すると、ようやく機上の人であった乗客らしい人影が機体から進み出てきた。そうしてタラップをゆっくりと降りて来るのであった。
よく見ると、後から次々に人影は続いていた。
その人影は遠くにあったが、私には何故だかよく見知った誰かであることを予感できたのである。
「やあ、久しぶり」
「今日は楽しみにしているよ」
そう、今日こそは黄泉の国からこの世へ我が縁者達のバスツアーがある日だったのだ。
ご一行は、私の父母、兄弟、妻方の両親その他の親類縁者たちであった。
宮崎市新別府展示場に到着、
「さあ、皆さん、暗いので足元に気を付けて下さい。」「足はないから心配ご無用」「ですね!」
展示場にはありったけの灯りを点してにぎやかなお出迎え。
「や―たいしたもんだ。こんげな素敵な展示場作ったつね!」
「贅沢な!やりすぎじゃが」
「お前達、えれ頑張っちょっが‼」
「有難うございます!」
疑問と嘆き
「あらー、床の間がねーが」
「仏壇置場も神棚もねーが」
「なん考えちょっとか!」
「まこっちゃ」
「これじゃ盆、正月に帰ってくるところもないが」
「まっこち、なっちょらんな!」
「あの~」と私、
「床の間風のものは和室に…」
「あらー、なんねこれは、床の間風と床の間は全くちがうが。」
「食卓テーブルに床の間はないじゃろが」
「床の間は和室という清楚な空間に設けられ、主人が客と静かに茶や会話をするところ。」
「厳粛という言葉があるが、床の間はそういうものじゃっど」
とご先祖様。
「すみません。じゃけんどん、今は和室のない家も多く、床の間は言うに及 ばず、仏壇も無い家が殆どなってます。若い方が20代、30代で家を造られるので、必要ないということでしょうか。」と私。
やがて、その時が来ると、一行は黄泉の国へ帰ることとなりました。
空港には到着した時のままにオレンジ色の霧に包まれた、機体があった。
我が父母兄弟と別れの言葉を交わし終ると、ご一行は次々に銀色のタラップを登りはじめた。最後のご先祖の一人、顔付が一番私に似ている老人が近づいて来て言った。
「10年前には、三陸の方々がたくさん黄泉の国においでになった。家には耐震等級という地震にどれだけ強いかを表わす性能表示というものがあるらしい。三陸の災害後、再度大きな地震があって熊本あたりから来る建物内で圧死した人の話では、倒壊した家を調べると、耐震等級2までの家が殆どらしい。地震で人の命が失われるような家は造ったらならんぞ」とのこと。
昔兄に聞いたことがあるが、私のご先祖様の中には、松江城の造営に携わった方がいたと言うがこの方はそのご先祖様かも知れない。
「ご心配なく、アイ・ホームは耐震等級3以上の家しか造っていません」
と応えるとご先祖様は、ニッコリ笑って、
「お前、黄泉の国にはいつくるのか?」
と言われた。