月光菩薩
テレビ食堂というものがあった。昭和30年代初めの頃はテレビが貴重品で、テレビがあるだけで食堂も賑わうことになる。
そう思って、その少し辺鄙(へんぴ)な所に食堂の主はテレビ食堂を開業したようだった。街中ではない丘の中程にそのテレビ食堂はあった。思い返してみると、めったに外食などしない時代で、母に連れられてはるばると歩いて行ったこと。そうして食べたことのない餃子を生まれてはじめて食べたことと、テレビを生まれてはじめて見たことを思いだす。
それからしばらくして、まだまだどの家庭にも我が家にもテレビは無かったが、子供達の中にそのテレビが生み落としたヒーローの歌が広まって行った。
どこかで不幸に 泣く人あれば
かならずともにやって来て
真心こもる愛の歌
しっかりしろよとなぐさめる
誰でも好きになれる人
夢を抱いた 月の人
月光仮面は誰でしょう
月光仮面は誰でしょう (2番の歌詞)
「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている」、その人はなぜか「おじさん」らしい。この「おじさん」の歌詞では2番の評判が高い。主人公月光仮面が活躍したのは昭和32年、「人々の苦難を救済する=菩薩」から来るネーミングらしい。薬師如来の脇に侍す月光菩薩のように、如来を守る「正義の助っ人」としておじさんは月光のシンボルをターバンの前面に飾っている。
Wikipediaに曰く、『月の満ち欠けを人の心になぞらえ、「今は欠けて(不完全)でも、やがては満ちる(完全体)ことを願う」という理想、「月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす」という意味』
が込められているそうである。
昭和32年、「おじさん」はヒーローだった。
今日の「仮面ライダー」などとは比べものにならないくらい、哲学的な背景を持って世に現れたようだ。函館市にはその勇姿を偲ぶ月光仮面像があるようで、一度行ってみたいものだ。
辛いだろうが 今しばし
待てば幸福 やってくる
まずしい人よ 呼ぶがいい
悲しい人も 呼ぶがいい
心正しき ものの為
月よりの使者 ここにあり
我が名は 月光 月光仮面 (別の主題歌2番)
もう一つの主題歌の2番である。ここで月光仮面を「月光菩薩」と言いかえてみると、月の彼方より有難い「月光菩薩」が到来されるかのようであり、かたじけなさに涙が湧いてくるというもの。
かって夢多き少年だった頃、気付くことのなかった世の無常、自らが「おじさん」となり、「おじじ」に成りつつある今、彼(か)のヒーローを思い出す。
歌にある「夢を抱いた 月の人」のなんと、深い思いがつまった歌詞であることか。それはきっと、ようやく平和になった第二次大戦後の新しい時代を生きる子供達に心からのエールを送った当時の「おじさん」「おじじ」であった製作者達の思いがあってのことだろう。
恵まれない戦時中の子供時代を過ごした「おじさん」こそは、「夢を抱いた 月の人」として自らの少年時代を振り返っていたのかもしれない。
正に月光仮面は、時代が生み出したヒーローだった。