両手に犬
非常時の持ち出し袋は命を守る食料や寒さから身を守るアルミ箔などである。
私の場合はミニチュアダックス2匹である。以前は92才の母がいて、順番的には2位となったが、その母が入院の今、迷わず「両手に犬」ということになる。
「迷わず」というところに重みがあることを告白しなければならない。愛犬家に取って犬は家族同様であり、もし自分が助からない場面を想像した時、ミニチュア君だけでも助けたいと、大真面目に考え、悲劇的場面を想像してしまうバカの典型も愛犬家君なのである。
結婚して家庭を持てば、箸(はし)一膳から買わねばならない。
その時どのような箸が良いか、心悩ませて求めた一膳。そこから始まって、家に溢れる程の物が溜って金婚式(50年目)あたりでは、どんな夫婦も金持ちではなくても、物持ちには成っている。
物持ちは、物が捨てられないからそう成るのだが、一緒に思い出も捨てるようで捨てられないのが相場。
或、週刊誌の企画で世界各国の典型的な家庭の家財道具を、家族共々写真に撮る記事を見たことがある。
ケニアからの始まりは、笑顔の黒人家族の人々の前に、簡単な食事用の鍋と、調理用の刃物。一山の食品より他に、どう見ても小ざっぱりとした家財の山が写されていた。
そうしてニコニコ笑顔が並んでいるのが印象的だった。
次いでイギリス。多くの家財の横に一家族のクリスチャン。置かれた家具はアンティークで何代か受け継がれた伝統が素晴らしい。家族の表情はどことなく気品に溢れている。
最後は日本。
溢れる物の中に、人と家があるような、よくもこの中にこれ程の物が入っていたと驚くばかりの有様である。この企画に参加した方は、この企画の立案者か、身内ではなかったかと想像する。
家の中にある物全て、洗い浚い戸外に並べており、スリッパから本、食器、タンス、机、等々。家族の表情はどこかうんざりとした様子で、企画参加者の中で一番曇りを感じた。
文明はどの時代にも、人の暮らしの痕跡を山程残す。これは何に用いられたのだろうか、と想像することは古の「物」という情報に接することで、歴史的な楽しみが広がることが後の世の人の楽しみとも言える。
しかし、今日の山程の「物」に未来の日本人が出会った時、楽しみではなく、驚くことも想像される。
未来の暮しは、スッキリと整理され、物のあまり無い暮しが標準的なものとなっているかもしれない。
日本人は以前金持ちでエコノミックアニマルと言われた時代があったが、物持ちアニマルであることは前に変わらず今も同じであるようだ。
あなたは両手に何を持って幸せを感じることが出来ますか。
こんばんは。本日は貴重な時間を割いていただきありがとうございました。マッハソーラーシステムについては、本当にびっくりしました。クリニックの電気代はかなり大きく、そういう点でもかなり魅力的に感じました。自宅をつくるときに知っていれば。。と残念です。
いずれにしても、今日は本当に楽しい時間でした。地域のためにがんばっておられる社長の後姿をすこしでも追えるように精進したいです。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
取り急ぎ御礼まで…。