歳 月
その日私は、営業の為に或る家の玄関に立っていた。
家の中からは聞きなれた大相撲のテレビ放送が聞こえて来た。
当時熱心な相撲ファンだった私は耳を澄ました。
応援していた大乃国の優勝をかける大一番で、訪問のブザーを押しかねていた。高まる喚声に手に汗にぎる一番の熱気が家内から漏れ伝わって来る。
「こんにちは」思わずブザーを鳴らしてしまった。
「はい?」
「怪しい者ではありませんが、誠に済みません、テレビを見せて下さい」「あっ、どうぞ」ということで、たちまち部屋に請じ入れられると、大きな座卓の一角に座を占めることが出来た。
座卓の周りには、祖父・祖母・若夫婦に幼い子供達3人程が仲良くテレビを見つめている。
歴史的大一番は、結びの一番で相星(あいぼし)となった大乃国が、優勝決定戦で逆転勝利して、大感動の結末となった。
「誠に有難うございました。感動の一番が見られて・・・」ということで、仕事はまた改めてと名刺を置くと退去したことがあった。
先日の展示会。介護をテーマにした展示会だったので、ご老人も含めて大勢の見学の方が見えた。
「車イス、車イス」大わらわで、車イスを用意したところ、やっとの思いで杖をついておられるお婆さん、どっかりと腰かけて戴いた。
これからの高齢化社会に備えて有効な家づくりの秘訣などをお話ししながらのご案内、そうして最後にお名前を伺うと、思い出しましたあの大一番。そうして、ほんの一時であったのですが、素晴らしいご家族の末席に加えて戴き、大乃国のやっとの優勝を喜び合えた貴重な一時が、昨日のことのように思い出されました。
「お元気だったのですね。皆さんの笑顔が昨日のことのように思い出されます」と、話したところ、やっと思い出した私の迂闊を不問に、「あの頃は祖父も元気でした」とのこと。
ご一緒の若妻は、あの時の若妻だったお母さんとそっくりの生まれ変わり。少し年を召された昔の若妻のお母さんの笑顔はあの時といっしょでした。
「その内、一度訪ねて下さい」とのお言葉。
そう言えば、今日お見えでないご主人も素敵な方だった。
お元気でお仕事を続けられているとのこと。
働いていると、こんな楽しい思い出もあるという話。
歳月は、ドラマの続きをより深いものとするようです。
だから、近い内に、お訪ねしてみようと思っている私です。