Green Hat
グミの実と言って、「アレね」と想いを巡らせる人は間違いなく、私と同じ昭和の人である。
赤い光沢のある実には黄色っぽい白の斑点があり、なんとも愛らしい。小指から親指の先程の大きさである。
口に入れると甘みと苦みが甘酸っぱい。独特の渋みが口の中に残る。そうして、昭和の人はグミをつまんで口に入れた、庭先や林や野原を思い出す。
甘味に飢えた年代である。こっそりと白砂糖を舐める至福を楽しまれた年代でもある。
白砂糖は舐めすぎると、頭が痛くなる。
今日の子供は、こんな馬鹿なことはしないだろう。
昭和の人の甘い物の代表は、「おはぎ」「善哉」そうして「いも天」といったところか。
この頃、コンビニに行って思うことがある。なんとも言えないこの至福感はなんなのだろうということである。それは物不足の時代を生きた昭和の人にとって、心の底から湧き上がる、物によって満たされた空間、あの「メーテルリンクのお菓子の国」にも似た夢の世界に足を踏み入れた感動なのだろう。
ここに一枚の写真がある。隼人駅のプラットホームで写る家族写真である。父の転勤で宮崎に引越す折のもので、冬の寒さに着たオーバーに季節を思い起こされる。
オーバーのポケットはパンパンにふくらんでいる。
「はっ」と記憶の中に丸いカルタが思い起こされた。鹿児島ではカルタのことを「カッタ」と言う。そのカッタは子供の宝物。引越しの前に、ポケットにいっぱいに持てるだけのカッタを入れて写っている。その時の切ない思いが昨日のことのように思い出された。
宮崎に来てみると、カルタは長方形で、丸いものも少しはあったが、まったくの無価値であることに気付かされた。どうにもこの長方形になじめなかったものの、いつの間にかこの長方形のカルタで遊ぶようになっていった。
少年の日を思い返せば、今がよく見えて来る。カルタどころか様々な「物」を獲得して、幸せなはずの今も、いつかは「おさらば」の日がやって来る。
メーテルリンクはチルチルとミチルに青い鳥を捜しに行かせたが、最後に帰りついた我が家で「青い鳥」を手にする。そうしてチルチルが青い鳥にエサをあげようとする隙に、青い鳥は逃げ出してしまうというストーリーだった。
一枚の写真を見ながら、昭和の人は、ふと少年の頃の宝物がカッタだったことを思い出した。そうして青い鳥はともかくも、お菓子の国はコンビニに実現されたことと、今の自分のポケットをパンパンにふくらませるような宝物がどこにも無いような気がしている。
そうして、メーテルリンクの青い鳥に出て来る、妖精がくれた「Green Hat」をかぶると過去と未来が見え、物の本当の姿が見えることになっているが、昭和の人にとって、「時間」こそが、「Green Hat」なのかも知れないと思うようになった。
最後に、少しおどけて「Green Hat」をかぶって「コンビニのお菓子の国」に行ってみたい気がするのは、昭和の人の中では目づらしい「私」なのかも知れないことを告白しなければならない。