想 像 力
中国船が領海侵犯で尖閣諸島周辺に現れる。
一般的な「想像力」では、まさかの仮定が働いて、戦争までは想像していない人が多いにちがいない。
20年程前になるが、佐土原町の役場の近くで売り土地が出た。
高台でよさそうな土地である。購入検討ということで現地に行ってみると、更地のはずが、小さな小屋が建っている。紹介者に問うと、地下に「核シェルターが埋まっている」とのこと。
鍵を開けて、狭い床の扉を持ち上げると、ポッカリと下に続く階段が見えていた。タンクローリーを地下に埋めたような空間が黴(かび)臭い。冷戦時代の核の脅威に、このような核シェルターが商品として売り出され、現実に買って、設置してしまった人がいたということだ。
生き残ることを前提に、核シェルターを用意することは容易に想像できる。
さて、それからである。シェルターから外へ出てみると一面の焼け野原。死屍累々の中で、生き残ることだけが目的となるだろうか。
ノアの箱船には子孫を残し、命の明日を託せる者のみが乗船可能だったような気がする。ならば、「あなたならどうする~♬」なんて歌詞が、胸に浮かんで来る。
やっぱり私のような者は、ここらで「想像力」が萎んで来る。これから先は「明日の心だ」ということだ。
後日、真の所有者で、当時東京住まいのご夫婦と会うことが出来た。
「何故あのようなものを造られたのですか」との質問に、2人は多くを語らなかったが、その時には「必要」と思ったとのこと。
今という時は、その時とつながる一点であり、これからも様々な答えをもたらすことだろう。
「想像力」を現実が変容させ、私達はバタバタすることとなる。
年老いた老夫婦は、その後どうされているのか、ふと思い出してしまった。そうして、自らが、あの時の老夫婦と同じくらいの年になっており、今のところ核シェルターが必要ないことを幸甚と思わねばならない、この「今」に感謝しなければならない。
とは言え、中国は怖い。