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生きる力

生きる力

 インターネットでは様々なキイワードで、意見を閲覧できる。例えば「生きる力」だ。そこに答えは、あるようで無い。

だから「期待しつつも、期待しない」といった態でぼんやりと眺めるようにパソコンを見つめる。そこには、ドリンク剤の商品説明が「生きる力」を謳っていたりする。そうして、ふっと自らの思いに捕われて、とりとめもないことを思い描いて時が過ぎ、「死ぬ力」などと再入力してみたりする。

 「生きる」ではなく「生きている」だけの時間が在り在りと見えて来る。

 「新しい」年、新年となり、早10日以上も過ぎた。去年ではなく今年。何か良いことがあるといい、誰もがそう願っているに違いない。

 正月、母が長期入院している病院に行った。去年の2月から、これで丸1年が近い。病室は4人部屋で、皆、児湯郡内に暮らしていた人達である。

 病院では、正月ぐらいは自宅でということで、体の自由の利く人は帰宅しており、少し閑散とした中、朝の配膳の時間、介護師さんが膳を運んでいた。

 「お待たせしました」そう話しかけながら、若い男性が食事を運んで来た。

今日の献立の話題を少し、そうして何がしかの声をかけながら仕事をしている。

 この1年間、手の不自由な母の希望もあり、朝昼晩、家族の行ける者が、行けない時は知り合いの方にお願いすることで、できるだけ母の食事に付き合って来た。だからこそこの時、胸に響いて来た言葉が、この「お待たせしました」という言葉でした。

 「食事が来ましたよ」「はい、お食事ですよ」との声掛けは良く耳にしていたが、「お待たせしました」という言葉はあまり耳にしなかったような気がする。

 病とは言え、母も、食事の時間はやっぱり楽しみなようで、その時刻になると倒されていたベッドの背もたれが起こされ、周囲の患者同志、改めて顔を見合わせ会話を交わし、食事の到来を心待ちにしているといった様子。

 「お待たせしました」という言葉には、待たせたことへの「済まない」という意味と、相手を敬い、気付かう気持が込められているようです。ハッとしながら、この若い男性看護師さんの様子を見ていると、役割としての介護作業は、むろんきちんと行われているのだが、患者を労わる気付かいが「言葉」としてもしっかり出来ており、素晴らしいと感じました。

 先日は鏡開き。その前日は私が当番だったので、母よりその話を聞いた折、明日は善哉が出るだろうと母が楽しみにしていることを知った。病院食にも折にふれ季節や行事に合わせた楽しみの献立がある。

クリスマスには小さなケーキも出された。

 当日は娘が当番で、娘からの電話。「祖母には善哉が出ていない」とのこと。調べてみると、カロリー計算をするとオーバーとのことで、カットされていたようだ。そう言えば、食欲があるので、この頃御飯の量を増やしたとのこと。結果デザートを減らされていたようだ。

 娘は「私が家で作って持って行こうか」と言っていた。祖母をかわいそうだと思ってくれる気持はうれしいものだ。

 沖縄風に言えば「大丈夫サー」、「明日我が家の善哉を作るから、持って行って食べさせるからサ」というわけで。

 「お待たせしました」。ようやく母に、病院よりは少し甘めの「善哉」を届けた次第。

 生きがいは、ネットには見つけられなかったけれど、「善哉、お待たせしました」の中にありそうだ。

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